疑問

教室という「くくり」の中で、僕のような阿呆でも
『先生』と呼んでいただくことは多い。呼ばれる私も
呼んでくださる方々も、テレ恥ずかしく疑問も脳裏では生まれて
いるのだけれどもその方がカンタンだからお約束で通している。

また、こいつ儲けさせてくれるんじゃないかな?と踏んだ過去の取引先さんなどが
当初、僕のことを嫌らしく『先生』と呼んでいたが、そんなに利益も出せない、
また、未だ海外経験や受賞歴といった物差しにもかからない輩だな、使えねえ〜と、
冷笑的に検閲したときによくあったことで、
「さん」から「くん」へ、また、
「ちゃん」や 呼び捨てになることもあることもある敬称?である(笑)。
その『先生』は、また違った流動的日和見的呼称で嫌なものである。

しかしながら、そういう現場や状況でなくとも
僕のことを『先生』と呼ぶ少年少女がいるものだ。
そこんとこは恥ずかしくないように精進したいと思う。
ありがとうございます。

さて、そんな少年たちから、先生、年齢はいくつ?
と聞かれた時に、俺は53だと答えましたら、
しばし間を置いて、「爺さんやん。。、』と言われました。

君らの年齢の時の僕もそう思っていたから
正しい感覚である。
その通りだ。

『しかしなあ、お前、俺もそう思っていたけれども、人生は
あっちゅう間やぞ。アッ!!ちゅうまや。』

と、言ったとして、彼らにはよく、その感じが伝わらないというか
わからない。
まあ、そういうものだ。それが正しい。

ある意味、もうすべて終わっていなければいけない年齢である。
ついこの間まで、後半は焦りながらそれを区切りに生きてきた。
無理だった。あまりに鈍臭すぎた。
健康診断も良好であった。
まだ生きていこうと思う(笑)。

『渡辺、終わったな。もうちょっと頑張ってくれると思ったがな、
いまはそんな感じないかいな・・・・残念やな。』

と言う。
ある負のループから抜け出したやつらがたまに僕に言う。
言わなくても目で言っているもの、僕に感じさせているものもいる。
(そんなに永くは続かんで・・・あんたら。断固保証する。)

僕は自虐ネタを披露し、笑ってもらって帰っていただいているが、

疑問を持っている。

おまえ、それでいいんか?
最低限の体裁は整っただろうが、それで満足か?
一人きりになって考えた時に。
ほんとにそれで良かったんか?

子供時代のお前が実はお前観てがっかりしてないか?

そのことが疑問でいっぱいだ。
それらのあんたらにね。

たぶん僕は死ぬ直前までその疑問と対峙するだろう。

いま、僕は自分に疑問を抱いてはいない。
そこは負けない。永遠に。

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