絶対

僕は子どもの頃、「絶対」という言葉が好きであった。
と言うよりも、絶対と言い切れるくらい真実を好んで晴れ晴れした
そのときそのときを生きることが好きであった。
真面目に正直に生きるという両親からの教えに忠実であった。

だから「絶対」が好きであった。

でも、京都に移り住んでからいろいろあった。

京都人が嘘つきだと言うことではない。

世間にはいろんな事情があり、早い話が逆もまた真なりという
高度な真実もあり、幸せに生きていくには「矛盾」という不思議な
真実も抱き合わせて考えないと、とてもとても生きてはいけない
そういうことを含み、山に囲まれた湿度の多い京都であった。

なので、ある時期から、母親に
「絶対!っていうことは世の中にありえないんだよ!」
と僕の言動を叱られたことがある。
屁理屈家の僕は生意気な反抗をしてビンタをくらったこともある。

年をとった母は、ビンタなんかしたことはない、と
本当に純粋にそのことを忘れている(笑)。

同時期に忠告されたことは、バカ正直、くそまじめ、
そういうことだった。
お前は要領が悪すぎる!と・・・・。

何が悪い??

そう思ってきた。
だけど、それは今になって涙が出そうなくらい
優しい暖かい言葉であったと認識している。

なぜ僕はいつまでたってもそういう生き方ばかり選んで、
行かなくてもいいところに行くんだろうか?と思うんだが、
大げさに言えば、運が悪い(笑)。ツイテナイ(笑)。
毎日、切腹を覚悟しなければとてもじゃないがノイローゼになりそうな
環境におかれることも多くなった。
これからは加速装置をつけたように多くなるだろう。

だから、そういうことだろう。
そういう人間だと察知されたのだろう。

愛である。

しかしながら僕は自分自身に対しては
『絶対』という生き方をしていくつもりだ。

皆さんも応援してほしい。
応援してねなどとは僕はあまり言わないほうなのだけれども
世の中は人を陥れることに長けた人も実に多いのだ。
そうやって生きていく人が多いのだ。
そんな人、嫌われ者だと思うけど。オーラも暗いけど(笑)。

京都の曖昧さ、イケズさは、そういう危ない世の中を
渡って行くための「『絶対』は言わないほうが無難どすえ」
という愛が満ち溢れているのです。

桜はもう満開になります。
写真はないですが美しい京都です。

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