自由

生きるも死ぬも自由。
周りを悲しませないかどうかが、その生きる、死ぬを
選択するする目安となるんでしょう。
あとは神のみぞ知るといったような、僕のような凡人には
思索の領域を超えたことだと思います。

絵を描くということを、認識しながらやるんなら、
僕は今描かないでもいいんじゃないかなあ、と
思い始めたりもしました。
満足なギャラは誰もくれないし、もひとつやりたいコトを
僕にはさせてくれなかったりします。ダルかったりします(爆)。
まあ、それは言わないほうがいいからいわないけれど。
30代にはそれなりの、40代にはそれなりの、
『あいつさえおらんかったら!』という、そういう
残念な星回りということもあります。
・・・言ってるけど。(笑)
それももうすぐ片付くんですけど・・・。
勿体無かった僕の10数年(笑)。

だけど。ダルいっす。

年をとったんでしょう。
フットワークが重くなりました。

高校を出てから、僕は、絵を描くことに情熱を注いだかと
思えば、その孤独さに飽きて、サービス業に従事したりしました。
もともと、初めての就職が、今でいうカフェですから、
ソフトな水商売です。
楽しかったです。
人に疲れると、今度は篭って暗く絵を描く(笑)というような
生活にはいりました。
それに疲れるとまた、なんらかの店に勤めるという・・・。

基本、僕はそういうとこ変わっていません。

僕は子供時代、父親が手描き友禅〜染工場経営という彼のエポック時代のもとにて
大半を過ごしました。
ガッコの先生も嫌味に思うくらいの画材の知識は持っていましたから
ちょっと天狗になっていたフシもあります。

しかしながら、事業を始める前の父は、けっこうお嬢だった
母親に(笑)相方として手伝わせながら、ベンチャーでラーメン屋をやったことが
あります。
いまはおぼろげですが、3、4歳のころの僕は記憶力が良かったです。
その風景もよく覚えています。
ちなみに、そのころ好きだった近所のガールフレンドのことも
よく覚えていて、いまだに思いだします。ミコちゃん(笑)。

さておき、
最近は絵を描くことよりも、晩飯作り、または、明日のお弁当作り(笑)の
ほうがじつは楽しかったりします。

17歳のときの僕の夢は、フィフティーズ風の雰囲気のカフェを経営することでした。
当時、洋服屋のクリームソーダに傾倒したからです。
コーヒー淹れて、ハンバーガーやサンドイッチなど作り、朝から晩まで
ロカビリーとかロックンロールなポップなナンバーをかけ続け、
休日に描いた絵なんか店に飾りたいというようなものでした。

気がつくと青春の終わりに絵の仕事がたくさん入ってきました。
初心を忘れてしまいました(笑)。

いいお店を作りたいなあ。たぶん経営手腕はないけれど。(爆)
だれかあ、いい話ないかあ?いい物件ないかあ?
借金はきらいだけれどお〜(笑)。

さて、今日はラーメンを作ってみました。
当時の親父と食べ比べ、または談義をしたかったなあと
思います。
時間のすれ違いということがありますが、
違う時代に生まれて、境遇の高低の違いという運命はもちろんのこと、
同じ世代として生きられなかったことは、故人、または
未来の誰かといずれ接するにしてはがゆいことではあります。

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