忍耐力を養おう

子供の頃は、次々と画期的な新しいアイデアがうかび
その都度に行動パターンやつい昨日まで熱中していたことから
遠ざかり、次の変なものに没頭する僕について、
親愛なる過ぎた日々の両親は、僕について飽き性だ、軟弱だ、と
憂いたに違いない。
たしかに自分で振り返ってもそうだったと思う。
他人にわかりやすく事柄を説明するのが不得手なことと、
いわゆる要領の良さを持ち合わせていない鈍臭い長男にありがちな
どうしようもないふわふわした子供であった。

もちろん運動は苦手、というか、野球などの団体競技が嫌いで
だいたいそういうものから逃げて、自分だけのマイブームに
日夜没頭し、また、次々と飽きてまた新たに没頭していたものだ。

また、喧嘩は嫌いで、よく凹んで学校から帰ってきたりしたものだから、
両親ともに、スポーツはともかく、柔道や剣道、そういう
自分自身を鍛えることを習ったらいいのではないか?
と勧めたものであった。

なんか、しんどそうである。

僕は「嫌だ」と言った。

そんなある年の年末、二学期の終わり、
新年までの課題、来年の抱負を考えてきなさいと、
小学二年のころだった。担任の先生が皆に言った。

帰ってから、別にスローガンなどない僕はう〜〜〜ん、う〜〜〜ん
と晩御飯の時に悩んでいた。

父、母、それぞれに僕に欠けているのは我慢の足りなさであり、
いけないところは軟弱とか気まぐれとか言い訳とかそういうものだから、
ということで

『おまえはとにかく忍耐力を養いなさい。』

と言ったので、
それはいいなあ!それくらいならちょっとできると思ったのである。
学校ではどの成績は良くないが、ただ一つ、図画は人の何倍も好きである。
どうして僕はいつも3(5段階評価の時代であった)しかもらえないのか???
こんなに上手に描けているのに。
そういう苛立ちに対しても忍耐が必要だなと思ったのもあった。

新年、
さて、渡辺くんの今年の抱負はなんですか?
(テーマや心構えとかもっとわかりやすい言葉だったと思うが)

と、先生に聞かれると、僕は迷いなく

『ハイ!今年の抱負は忍耐力を養おう!ですっ。』

と澄み渡る青空のごとく言ったのである。

同級生の多くは、にんたいりょくってなに?
なんの体力???みたいなリアクションであったが、

担任の女性教師(僕の記憶のなかではこのときすでにおばあさんの先生。
名前は伏せとく)は、顔色を変えて怒りの表情を浮かべた。

『忍耐力を養う?!! 誰がこの時代にそんなことをしなあかんと
いうのや?!!誰が言うたんや!!?あんたのお父さんか!?お母さんか?!!!
いうてみい!!だれがそんなことを言うんやっ!!!』

僕はびっくりして黙ったままだった。
なんでなんですか?僕は悪いことを言いましたか???
てんでわからなかった。

そのことはずいぶんあとでわかった。
それが悪いと言うのではない。もちろんそんなこと
僕は思ってはいない。
また先生が間違っていたとももちろん思ってはいない。
自由に好き勝手に思い通りに生きられる人は幸せである。
赤信号を大手を振って歩いても決して自動車に轢かれたり
することのない人種も不思議に多く存在しているから。

当時、幅を利かせていたのは圧倒的に「日教組」の
先生達だったのだ。
その先生ももちろんバリバリであった。
子供の頃はそんなことわからなかった。

あるときまで、僕は、忍耐した。
すこんと普通に青空が垣間見れる時を待つまで
それだけのことだっだ。
つまり担任替えの三年生になるまでの2ヶ月余りの間待った(笑)。
あっちゅう間。
若き美人でニュートラルな新しい先生は、渡辺くんは花の絵のバック
いい色で描いたね。
図画の成績は4になった。
そこからは猛烈にやる気が出て、図画は5をオンパレードした。

また今もさらに、十年前にはそれなりの
また、二十年前にはそれなりのまた忍耐力で取り急ぎ生きてきた。
さらにこのくそ面白くもないこの時代、大いに養って今日は雑草のごとく
地味にまたかつ楽しくせせら笑いながら忍耐して生きておる。
耐え難きを耐え、忍び難きを忍び、以って万世の・・・・

たまに泣けたりする。美しい御言葉に。

成就するのはものすごく長い時間がかかろう。
僕の寿命以内では無理かもしれぬ。

(忍耐、それはなかなか大変である。しかもそれが報われる日まで
とにかくは生きなくてはならない。なかなかにしんどい)

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