或るお昼、某カレー屋でカレーを食べたときのこと。
カウンター一席だけ空いていたので、僕はそこに座った。
(滅多にないことだ。満員に近い店には入る気がしないから)
満員のカウンターのとなりの席の青年に ポークカレーが来た。

その青年は、恭しく合掌してスプーンをとった。

正直ながら、僕はちょっと違和感を感じたが、懐かしいなあと思った。

僕ら、小学生のころは強制的に給食のときに
『合掌〜〜!戴きます!』『イタダキマス!』の儀礼のもとに
スプーンをとったものだ。
なんでかわからないが、そうさせられた。いいことだとは思う。
(禅から来たものだから否定はしない)

それと、ふと、同時にリンクして思い出すのが、ちょうどそのころの
正月あけの新学期、今年の目標・抱負を言いなさい、というのが2年かな?
クラスであったので、みなそれぞれ、「走りを早く走れるようになる」
だとか、「算数をがんばる」「遅刻をしない」などなど、いろんな
抱負を言っていたのだけれど、僕のスローガンは

『忍耐力を養う』

であった(笑)。だけど笑い事ではない。本気だ。

そのころの僕は、今よりももっと軟弱で優柔不断で飽き性で根性なし。
見かね呆れた両親が、「お前はもっと忍耐力を養わないといけないなあ」
と、忠告していたので、思いあたっての発言故だったのだ。

その僕の今年の抱負を聞くや否や、先生の態度は変わった。(目の色が変わった)
僕は褒められるならうれしいところが(なにも褒めを狙って発言してないが)、
思いのほか、えらい剣幕で叱られた。

「それは、あんたの家の教育方針か!?誰や!お父さんか?お母さんか?!」

と、怒りを露にしたのである。

僕はがっかりどころか、きょとんとしてしまった。

なぜ、忍耐してはいけないのだろう?忍耐しなければいけないような
アホの僕だから先生は叱ったのか????

今なら、その真意はわかる。(わかるよね?)
耐え難きを耐え、忍び難きを忍びという言葉は、ある意味
現代教育ではタブーなコトバだったからだ。
その先生を悪いとは言わない。もちろん。ただ、暗黙の押しつけがイケナイ。
行き過ぎたヒステリックな叱り方であったのがイケナイ。

幼少の頃から僕は、特定の宗教を親から強要されてはいない。
だけれども、こうした方がいい、というよりも、こうすべきだ
と教えられた事は、両親それぞれの先祖からの連綿と受け継がれた共通した
日本的な考え方(躾?)としてだろう、そういうのは事あるごとに教わった。
(幸せなことに両親共通で)

普段はめちゃくちゃ放任主義であった僕の父親も、 ちゃんとした
箸の使い方を覚えようとしない僕に、それなりの年齢が来た時に、食事時に
ピシッと、その手を叩いた事がある。びっくりしたものである。

そういう事を思い出したり、正月になると、僕はやはり神に向かって
真面目に居ろと、なんとはなしに、(また、親も無意識に?)教わったと解釈している。

ところで神はいるのか?

神。日本の神様。みんなの国の神様。etc・・・。

僕は実は神はいると信じている。
科学的にはいないとしても居ると信じている。

それはそれでいいでしょう?

神はひとつの指針であり、その足許に到達 するべく生きる生き方の美の
目指す到達点だと思う。

いろんな神がいる。世界にもいろいろ。

たとえばミューズの神。・・・芸術の神。

神に選ばれしもの、
そういう言葉で世界は成功者を讃えたりする。
特にスポーツ、若さを売りにした芸能などにおいてもそんな感じする。
明暗はっきりしてる部分がなお。

神に選ばれるために、神に褒められるために我らはがんばるのか?
それもイイかもね、と思う。

僕は、人々は、その方向に向かって精進すべきだと思う。

でも選ばれなかったら?神に歓迎されなかったら?

どうするって?

選ばれなくても歓迎されなくても僕は構わない。
(選ばれたら本当にうれしいけれど。勲章もらったら立派な額に入れるけれど(笑))

『君は別にここに来なくてもいいんだよ。選ぶつもりはなかったんだから』

ざわめき浮き足立った人々に偶然に紛れ、間違って祭壇の階段を上がった僕に、
そう神に言われても、ありがとうございました。と、
晴れ晴れとその階段を降りるだろう。

泣いたり喚いたり縋ったりはしない。しないぞ。
じゃあ、生まれ変わったら悪道に落ちてやる!そうも決して言わない。

「選ばれる」という事よりも、「そこまでのプロセス」が大事なんだな。
そこを目指して生きたということだけが大事なのだから。

なにが言いたいのかワタナベ、お前は深夜に酔っているのか?
そう思う人もいるだろうし、こういう記事は全く無視の人が多いだろう。
それがいいんだけど(笑)。

『生きている間に成功する芸術家は少ない。それはごく稀な事。一番大事なのは
死んで名を残す名誉と栄光を。それができて本物の芸術家。』人はよく言う。
とくに絵画を扱っている業者さんは(アヴァンセじゃないですよ(爆))・・・。
ふふん(笑)。
たしかにそうですね。そこには人々を説得するある種の美学がある。商業的にも
お涙頂戴的にも。 都合良く。儲けるのは後の商売人だから(笑)。

だけど死んでも、なにも残らなくてもかまわない。
別にいいんだ4。

で、
だけど、言いたいのは、カレー屋の青年に負けないほど、僕は信仰心があるぞ。という事。それと、強制的にに宗教・思想を子供に押し付ける教育は罪悪 なのだぞ!という事なのである。

で・・・、それから、その青年が、いわゆる、その・・・、カルトの人でないことを、
ただそれだけを祈って寝ます( 爆笑)。

カテゴリー: , , 芸術 パーマリンク

への3件のフィードバック

  1. chikara のコメント:

    つくづく僕はアタマの良くない人間だな、と思う。
    でも、10年後に、もし僕が生きていたらと思うと、
    残しておこうと思う。この記事。

  2. ゆりりん のコメント:

    人の数だけ神様は居て、もうすでに選ばれているんだと思います。
    なんだか、チカラさんと、私の脳?精神は似てるかもしれませんね。
    私も似たようなこと考えますもの

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。